唐突感丸出しですが、サブタイトルにも掲げている“Sence of wonder”についてのお話。あんまり聞かれる(た)事はないけれど。
正直どーでもいい内容の話ではあるのですが、この言葉が表す意味がどういうものなのか、僕なりにどういう意図をもってサブタイトルに掲げたか?改めてその考えを文章にまとめてみましたよ。

ウィキペディアによれば、Sense of wonder(センス・オブ・ワンダー)にはこんな意味があります。
“センス・オブ・ワンダー(sense of wonder)は、一定の対象(SF小説、自然など)に対して、ある種の不思議さの印象の感覚を表す概念である。”
なんとも曖昧な文章w こうして見ると日本語の柔軟さというか難しさ改めて感じます。
しかし「不思議さの印象の感覚」って日本語がちょっとおかしいですよねw

別のページを検索してみました。お、ありました。凄く分かりやすいです。
この言葉の意味の説明としてとても分かりやすい箇所を抜粋してみます。

Via:センス・オブ・ワンダー | iwatamの個人サーバ

センス・オブ・ワンダーとは、直訳すれば「不思議感」とでもなろうか。世の中の様々なことに対して、不思議を感じる感覚である。これは「感覚」なので、理性の範囲外にある。 例えば、飛行機を見て「なんであんなに巨大な鉄の塊が空を飛ぶのだろう」と感じる。これは実際のところ、理由がわからなくて「なんで?」と聞いているのではない。鉄の塊が空を飛ぶこと自体を不思議に感じるのである。これは感覚だから、流体力学や何やらを勉強して理由がわかったところで消えるものではない。

不思議感の鋭い人は、普通の人は何とも思わないような事に対しても「スゲェなぁ」「面白いなぁ」と感動する。不思議を調べ出すと、視野が広がり、次々に不思議が湧いて出てくる。不思議を感じることができる人にとっては、この世界は不思議が満ちた場所、つまりワンダフルな場所であり、ワンダーランドなのである。

どうでしょうか?だいぶ分かりやすくなりました。w

僕がこの言葉に出会ったのは確か5~6年だったかと思います。
当時勤めていた会社の同僚とのなにげない会話の中で出てきた言葉で、詳しく説明をしてくれたのですがその時は「ふ~ん」って感じでした。

その同僚からこの言葉の持つ意味の説明を受けた時は、確か人間が持つ“第六感”的な意味合いの内容だったと記憶してます。感覚的には少しオカルトに近いような。
その当時、巷では映画シックス・センスが流行っていたので、当時のぼくも自分に都合のいいように曖昧に解釈をしていたフシがあります。

というわけでそもそものきっかけは、なにげない日常会話だったのですが、妙にこの言葉が頭の片隅にひっかかり、当時の都合のいい解釈のまま数年が経過していました。

当時のぼくは仕事に、そして何よりも自分自身に対して悩んでいた時期でもありました。
今でも職業として変わりはありませんが、当時の僕はCDとして駆け出しのヒヨッ子で試行錯誤の毎日だったのを覚えています。

ちょうどこの頃に読んだ広告批評の佐藤可士和さんのインタビュー記事に、博報堂時代に大貫卓也さんのチームに配属された時のお話が掲載されていました。
大貫卓也さんの徹底した理論武装、考え方について、理解が出来ず毎日毎日質問ばかりして必死だった。確かそんな話の内容だったかと思います。

この記事の中にはセンス・オブ・ワンダーの話は一切出てこないのですが、昔の同僚が教えてくれたこの言葉と、インタビュー記事と当時の僕が感じていた事がシンクロし、一本の線で繋がりました。
記事の中にいる佐藤可士和さんは、決して理性ではなく、感覚的に、センス・オブ・ワンダーを実践されていた。そう感じたのです。

2006年の4月、ブログを立ち上げるにあたって同僚と話したこの言葉を思い出し、そこには何か必然的なものを感じ、タイトルとして掲げた経緯があります。この時には当時の都合の良い解釈から少しだけ変化を遂げていました。この言葉をやっと自分なりに消化できたわけです。

そして、“抜粋にある、普通の人は何とも思わないような事に対して「スゲェなぁ」「面白いなぁ」と感動し、視野を広げて、平凡な日常も見方や視点を変えることによってワンダフル・ワンダーランドに見える。”
自分もそうでありたい。そんな思いを込めて、ブログのサブタイトルに掲げたのでした。

と、たいそうな理念や思想があるように思いますが、ブログも今となっては…。お恥ずかしい限り。

でも、このセンス・オブ・ワンダーの感覚はこれからも大切にしたいと思っています。
きっとそこから、素敵な発想やアイデアが生まれてくるだろうと信じているし、
仕事にだって、平凡な日常の生活にだって、きっと感動をもたらしてくれるだろうと信じています。

おわり。

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